大江健三郎

大江健三郎(1935年~)は現代日本文学へ比類ない貢献をした作家です。有名な作品には「万延元年のフットボール」「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」「洪水はわが魂に及び」「懐かしい年への手紙」「大いなる日に」「救い主が殴られるまで」などがあります。受賞歴には、1994年のノーベル文学賞、2002年のレジオンドヌール勲章、1973年の野間賞、1967年の谷崎賞、1964年の新潮社文学賞などが挙げられます。

大江健三郎のインスピレーション

大江は18歳の時に故郷の村を出て上京し、一年後、東京大学文学部フランス文学科に入学しました。そこでフランソワ・ラブレーを専門とする教授・渡辺一夫に教えを受けましたが、ラブレーのグロテスクなリアリズムのイメージと、ミハイル・バフチンによる用語を使用することにより、大江は、自身の故郷の村の歴史と神話を完全に再評価する手引きを得ました。それに加え、渡辺のヒューマニズムに対するイデオロギーから、人間の境遇や社会に対する見方において影響を受けました。

大江がインスピレーションを受けたもの

大江は、アメリカ文学とフランス文学の熱心な読者であり、書物を通し、都市の社会状況を見ることができました。大江は、歴史上起こったことよりも、伝説に密接に結びついた出来事を語る物語の枠組みの中で、物語から自分へもたらされた考えを再編成する努力により成長しました。

大江健三郎の有名作品

書物を書き始めた頃、大江はまだフランス文学を学ぶ学生でした。彼の初期の作品、具体的には1957年から1958年の間に書かれた作品は、田舎に暮らす若者の理想的な人生をバラバラにする戦争の大災害を著しています。1957年の「飼育」、1958年の「芽むしり仔撃ち」などはこの流れをくむものです。「死者の奢り」「遅れてきた青年」では、東京の学生生活の様子を書き記しています。

より文学的な作品へ

頭蓋骨奇形を持った長男の誕生は大江の人生を変えました。この出来事は精神的なトラウマとなる一方で、大江の人生と文学に新しい道をもたらしました。苦悩を乗り越え、脳に損傷を持つ子どもを持つこと、そしてその子を受容することの苦しみを書いた「個人的な体験」を1964年に発表。この後、広島の原爆被害者の思いや現実を書いた1965年の「ヒロシマ・ノート」へと続きました。

大江健三郎が日本文学へ寄与するもの

大江健三郎は最も名高い日本の作家のひとりです。大江は広島の原爆や、重度の障害と共に生きる人々の挑戦のように、現実に起こった出来事を題材とすることで知られています。これらの出来事に突き動かされ、大江は数多くの本、短編、記録を書きました。これまでの受賞歴が語るように大江の作品は日本のみならず世界中で読まれています。大江健三郎は真に偉大な作家です。